2007年 09月 18日
トリュフへ |
その時、私は呑気にアメリカはニューヨークのヤンキースタジアムにいました。
ニューヨーク ヤンキース vs シアトル マリナーズの、今まさにプレイボール直後のトップバッターであるICHIRO選手が、お馴染みのバットを持った右手を相手ピッチャーに向け構えた瞬間を撮影しようと、バックネット裏の席からカメラを構えて、シャッターを押す瞬間でした。
携帯電話が突然鳴り、画面を見ると発信者は「torashiro」...。
シャッターチャンスを逃した私は、少し不機嫌に電話に出ると...。
今でも脳裏に残る言葉...。
「トリュフが死にました...。」
絶句でした。
もうここのところ、だいぶ痩せてきていて、食事もろくに取らず、水も飲んでいるのかどうかといった状態でした。また、私が出発する頃にはかなり体調が悪くなっているようでしたが、見た目にも結構弱っているかなと感じる程度でした。しかし、出発前日には、自分のつばも飲み込めないようで、舌を出したまま、よだれを垂らしていたので、心配はしていました。
ただ、以前のショコラの方が見た目もずっと重体で、病院で何か手を打てば、まだ何とかなるだろう位の、ちょっとした軽い気持ちでもありました。
トリュフの性格は、自分とダブるんです。と言うか、男としての理想でした^^;;;;;。
甘えるのが下手で、なかなか素直に甘えることもできなくても、人間で言えば、『悩み等があっても、相手の迷惑を先に考え、自分で何でも解決してしまう』ような...。群れることもせず、人の意見に左右されず、自分を貫き通すような。それでいて、弱いものには優しいと...。ただ、私がトイレや風呂に入る時は、いつもくっついてくるので、その時だけは扉を閉めて、二人だけの時間を作ってあげていました。そうすると、もうゴロゴロが凄くて、そのまま具合が悪くなってしまうのではないかというような勢いで^^;;甘えてきたものです。私は、そんなトリュフのよき理解者であってあげたいと常日頃思っていたものです。
宅急便屋さんやお客様が来ても、隠れてしまう“とらじろう”や“しろ”を尻目に、真っ先に出迎え、ひとしきりまとわりついて、初対面の方には一番可愛がられた子でした。
また、torashiroも書いてますが、トリュフは本当に手の掛からない子でした。
実は、今回の私の旅行も、今年の春先に計画をし、torashiroも一緒に行く予定でした。ただ、7月が過ぎた辺りに、体重が減ってきたことを気にして、体調が悪かったらまずいということで、torashiroは今回の旅行をキャンセルしたのです。まさか、最悪の結果が、ピンポイントでその日にやってくるとは思いもよりませんでした。
それでも、私が、当日、その場に居たら、きっとどうしていいのか、心の整理もできず、でも仕事には行かなければならず、パニックに陥っていたことでしょう。その日、時間的には、朝の8時前、洗面所でtorashiroに撫でられながら、思ったほど苦しむこともなく、眠るように逝ったそうです。その状況、時間的にも、我々に負担を掛けないようにとの気遣いが感じられずにいれません。
私は、8月31日から9月6日まで、アメリカはニューヨークへ1人で旅行に行ってました。後ろ髪を引かれつつ...
現地でニューヨークヤンキースの試合を観戦するために。
今年は、特にICHIRO選手が所属するシアトルマリナーズ戦を絡めて計画をし、あわよくば、松井選手とICHIRO選手の両方からサインをもらおうと目論み、アイテムをいっぱい持ち込んでおりました^^;;。
ですが、やはりそこは、スター軍団を抱えるヤンキース。
球場を含めて、厳重なチェック体制で、そうやすやすとサインをもらえるはずがありません。ましてや、松井選手やICHIRO選手などは特に。日頃、「サインは買うものでなく、直接もらうもの」と言うポリシーを持っていますが、さすがに遥か遠い異国の地、アメリカはニューヨークまで、球場での選手の「出待ち^^;;入り待ち^^;;;;」までしてサインをもらいに行って、寸でのところでもらえないとなると、そりゃぁ凹みます。実際、ヘトヘトになってtorashiroにも何度もメールや電話で愚痴をこぼし、もらうにはどの場所に居ればいいのか自分では判断できなくなって^^;;しまっていました。
何度も何度も考えて、実際には、わざわざ異国の地にまでサインをもらう目的で来たわけではなく、本場アメリカのMLB、強いては歴史ある偉大なヤンキースの試合を観に来たわけで、無理せずに自然体でゲーム自体を楽しむという本来の姿に戻そうと、一大決心をして^^;;、ゲートのオープンと同時に球場に入ったら迷わず自分の席のエリアに行って、あちこち動き回るのではなく、静かに練習中のICHIRO選手を写真に収めていました。
そして、しばらくしたら、ICHIRO選手が私の前に立っていた子供のところに寄ってきて、サインをし始めたではありませんか...。それを見て、私も必死に^^;;、アイテムである昨年のWBCの51ジャージを広げ、ICHIRO選手に手渡して、無事サインをもらうことができました。もう興奮しちゃって、息苦しくなりました^^;;;;;;;;;。
でも、今思うとそれが、トリュフが息を引き取るつい2時間ほど前の出来事でした。
あんなに、選手を必死で完全にロックオン^^;;していても、もらえなかったものが、何も考えず、特に何も行動を起こしていないにも関わらず、いとも簡単にもらえるものでしょうか?私には偶然にはとても思えず、トリュフが最後の力を振り絞って、
「ごめんなさい、頑張ったけど、帰国まで待てそうにないよ。本当にごめんなさい。その代わりに...。」
と力を貸してくれたようにしか思えません。案の定、翌日の試合で同じ場所にいたら、警備の人に自分の席の列から動いちゃダメと注意されて、とても昨日の位置まで行くことすらできなかったのですから。
私は、先述のtorashiroの言葉...。
「トリュフが死にました...。」
と言う言葉が、未だに脳裏に焼きついてしまって、思い出すと心が震えます。
日本時間7日の夕方帰国して、何が何でもトリュフの元へと急いでいた私の携帯にtorashiroから電話が入り、「外で夕食を済まそう。でないと、きっとその後食事がのどを通らないと思うから。」と言う言葉で、急く気持ちとは裏腹に一生懸命腹に詰め込み、家に帰りました。
真っ先にトリュフの元に行き、発泡スチロールの箱の中にドライアイスと一緒に入っていたトリュフを見て、今まで現実感のなかったトリュフの死に直面し、涙を堪えることができませんでした。本当に死んでしまったんだね。こうして見ている分には、とても気持ちよさそうに眠っているとしか思えないけれど、と...。
本当に眠っているようでした。筋肉はもう既に硬直してはいましたけど、内臓のあるお腹付近はまだ弾力があるため、ちょっと触ると、動いているように思えてくるんです。今にも「ニャー」と鳴き出しそうに...。死に目にも会えなかった私にとっては、何かの間違いであって欲しいと本当に思ってしまいました。
torashiroには、本当に大変なことを1人でさせてしまいました。本当に辛いことを1人でさせてしまいました。さぞ、心細くて、悲しかったことでしょう。ごめんなさい。ありがとう
土曜日の16:00、近所のペット斎場で、トリュフを火葬してもらいました。
torashiroは、一旦自宅マンションに戻り、そこの屋上から、ずっと焼かれている場所を見つめていました。
トリュフが空に向かって飛んで行くのを見送るのだと。
1時間程度で再度斎場へ行き、トリュフのお骨を受け取りました。係りのおじさんが、「まだ若かったんだね、こんなに白くて若い骨だよ。頭蓋骨もほら、はっきり判るように残っているよ」と言ってくださいました。実際、おでこから頭にかけて、はっきりと残っていました。他の猫がどのようなものなのかは私には判りませんが。
死んでしまっても、そこにあったトリュフの体が、実際に無くなってしまったら、どんなに悲しいのだろうかと、とても不安で緊張もしましたが、実際に火葬して、骨壷の中に納まったトリュフを見て、死んで亡骸となってしまったトリュフを見るよりも、なぜか気持ちが穏やかになりました。やはり、この方が成仏してトリュフにとっては幸せなのかもと...。
まだ、しばらくは思い出すたびに悲しみはこみ上げてくることでしょう。
実際に、家を出る時は、「1,2,3,4、・・・?」と数えてしまいますし、帰宅時も真っ先に飛び出してくるトリュフがいないのですから。
生あるものは、必ず死が訪れるもの...。
理解しているものの、いまだに頭から離れないtorashiroの言葉...。
「トリュフが死にました...。」
最後に、火葬時に一緒に手紙を入れるようにtorashiroから言われて書きました。
トリュフへ
向こうへ行ったら、君らしく伸び伸びと暮らしてください。
ありがとう。
君のことは決して忘れない。
ニューヨーク ヤンキース vs シアトル マリナーズの、今まさにプレイボール直後のトップバッターであるICHIRO選手が、お馴染みのバットを持った右手を相手ピッチャーに向け構えた瞬間を撮影しようと、バックネット裏の席からカメラを構えて、シャッターを押す瞬間でした。
携帯電話が突然鳴り、画面を見ると発信者は「torashiro」...。
シャッターチャンスを逃した私は、少し不機嫌に電話に出ると...。
今でも脳裏に残る言葉...。
「トリュフが死にました...。」
絶句でした。
もうここのところ、だいぶ痩せてきていて、食事もろくに取らず、水も飲んでいるのかどうかといった状態でした。また、私が出発する頃にはかなり体調が悪くなっているようでしたが、見た目にも結構弱っているかなと感じる程度でした。しかし、出発前日には、自分のつばも飲み込めないようで、舌を出したまま、よだれを垂らしていたので、心配はしていました。
ただ、以前のショコラの方が見た目もずっと重体で、病院で何か手を打てば、まだ何とかなるだろう位の、ちょっとした軽い気持ちでもありました。
トリュフの性格は、自分とダブるんです。と言うか、男としての理想でした^^;;;;;。
甘えるのが下手で、なかなか素直に甘えることもできなくても、人間で言えば、『悩み等があっても、相手の迷惑を先に考え、自分で何でも解決してしまう』ような...。群れることもせず、人の意見に左右されず、自分を貫き通すような。それでいて、弱いものには優しいと...。ただ、私がトイレや風呂に入る時は、いつもくっついてくるので、その時だけは扉を閉めて、二人だけの時間を作ってあげていました。そうすると、もうゴロゴロが凄くて、そのまま具合が悪くなってしまうのではないかというような勢いで^^;;甘えてきたものです。私は、そんなトリュフのよき理解者であってあげたいと常日頃思っていたものです。
宅急便屋さんやお客様が来ても、隠れてしまう“とらじろう”や“しろ”を尻目に、真っ先に出迎え、ひとしきりまとわりついて、初対面の方には一番可愛がられた子でした。
また、torashiroも書いてますが、トリュフは本当に手の掛からない子でした。
実は、今回の私の旅行も、今年の春先に計画をし、torashiroも一緒に行く予定でした。ただ、7月が過ぎた辺りに、体重が減ってきたことを気にして、体調が悪かったらまずいということで、torashiroは今回の旅行をキャンセルしたのです。まさか、最悪の結果が、ピンポイントでその日にやってくるとは思いもよりませんでした。
それでも、私が、当日、その場に居たら、きっとどうしていいのか、心の整理もできず、でも仕事には行かなければならず、パニックに陥っていたことでしょう。その日、時間的には、朝の8時前、洗面所でtorashiroに撫でられながら、思ったほど苦しむこともなく、眠るように逝ったそうです。その状況、時間的にも、我々に負担を掛けないようにとの気遣いが感じられずにいれません。
私は、8月31日から9月6日まで、アメリカはニューヨークへ1人で旅行に行ってました。後ろ髪を引かれつつ...
現地でニューヨークヤンキースの試合を観戦するために。
今年は、特にICHIRO選手が所属するシアトルマリナーズ戦を絡めて計画をし、あわよくば、松井選手とICHIRO選手の両方からサインをもらおうと目論み、アイテムをいっぱい持ち込んでおりました^^;;。
ですが、やはりそこは、スター軍団を抱えるヤンキース。
球場を含めて、厳重なチェック体制で、そうやすやすとサインをもらえるはずがありません。ましてや、松井選手やICHIRO選手などは特に。日頃、「サインは買うものでなく、直接もらうもの」と言うポリシーを持っていますが、さすがに遥か遠い異国の地、アメリカはニューヨークまで、球場での選手の「出待ち^^;;入り待ち^^;;;;」までしてサインをもらいに行って、寸でのところでもらえないとなると、そりゃぁ凹みます。実際、ヘトヘトになってtorashiroにも何度もメールや電話で愚痴をこぼし、もらうにはどの場所に居ればいいのか自分では判断できなくなって^^;;しまっていました。
何度も何度も考えて、実際には、わざわざ異国の地にまでサインをもらう目的で来たわけではなく、本場アメリカのMLB、強いては歴史ある偉大なヤンキースの試合を観に来たわけで、無理せずに自然体でゲーム自体を楽しむという本来の姿に戻そうと、一大決心をして^^;;、ゲートのオープンと同時に球場に入ったら迷わず自分の席のエリアに行って、あちこち動き回るのではなく、静かに練習中のICHIRO選手を写真に収めていました。
そして、しばらくしたら、ICHIRO選手が私の前に立っていた子供のところに寄ってきて、サインをし始めたではありませんか...。それを見て、私も必死に^^;;、アイテムである昨年のWBCの51ジャージを広げ、ICHIRO選手に手渡して、無事サインをもらうことができました。もう興奮しちゃって、息苦しくなりました^^;;;;;;;;;。
でも、今思うとそれが、トリュフが息を引き取るつい2時間ほど前の出来事でした。
あんなに、選手を必死で完全にロックオン^^;;していても、もらえなかったものが、何も考えず、特に何も行動を起こしていないにも関わらず、いとも簡単にもらえるものでしょうか?私には偶然にはとても思えず、トリュフが最後の力を振り絞って、
「ごめんなさい、頑張ったけど、帰国まで待てそうにないよ。本当にごめんなさい。その代わりに...。」
と力を貸してくれたようにしか思えません。案の定、翌日の試合で同じ場所にいたら、警備の人に自分の席の列から動いちゃダメと注意されて、とても昨日の位置まで行くことすらできなかったのですから。
私は、先述のtorashiroの言葉...。
「トリュフが死にました...。」
と言う言葉が、未だに脳裏に焼きついてしまって、思い出すと心が震えます。
日本時間7日の夕方帰国して、何が何でもトリュフの元へと急いでいた私の携帯にtorashiroから電話が入り、「外で夕食を済まそう。でないと、きっとその後食事がのどを通らないと思うから。」と言う言葉で、急く気持ちとは裏腹に一生懸命腹に詰め込み、家に帰りました。
真っ先にトリュフの元に行き、発泡スチロールの箱の中にドライアイスと一緒に入っていたトリュフを見て、今まで現実感のなかったトリュフの死に直面し、涙を堪えることができませんでした。本当に死んでしまったんだね。こうして見ている分には、とても気持ちよさそうに眠っているとしか思えないけれど、と...。
本当に眠っているようでした。筋肉はもう既に硬直してはいましたけど、内臓のあるお腹付近はまだ弾力があるため、ちょっと触ると、動いているように思えてくるんです。今にも「ニャー」と鳴き出しそうに...。死に目にも会えなかった私にとっては、何かの間違いであって欲しいと本当に思ってしまいました。
torashiroには、本当に大変なことを1人でさせてしまいました。本当に辛いことを1人でさせてしまいました。さぞ、心細くて、悲しかったことでしょう。ごめんなさい。ありがとう
土曜日の16:00、近所のペット斎場で、トリュフを火葬してもらいました。
torashiroは、一旦自宅マンションに戻り、そこの屋上から、ずっと焼かれている場所を見つめていました。
トリュフが空に向かって飛んで行くのを見送るのだと。
1時間程度で再度斎場へ行き、トリュフのお骨を受け取りました。係りのおじさんが、「まだ若かったんだね、こんなに白くて若い骨だよ。頭蓋骨もほら、はっきり判るように残っているよ」と言ってくださいました。実際、おでこから頭にかけて、はっきりと残っていました。他の猫がどのようなものなのかは私には判りませんが。
死んでしまっても、そこにあったトリュフの体が、実際に無くなってしまったら、どんなに悲しいのだろうかと、とても不安で緊張もしましたが、実際に火葬して、骨壷の中に納まったトリュフを見て、死んで亡骸となってしまったトリュフを見るよりも、なぜか気持ちが穏やかになりました。やはり、この方が成仏してトリュフにとっては幸せなのかもと...。
まだ、しばらくは思い出すたびに悲しみはこみ上げてくることでしょう。
実際に、家を出る時は、「1,2,3,4、・・・?」と数えてしまいますし、帰宅時も真っ先に飛び出してくるトリュフがいないのですから。
生あるものは、必ず死が訪れるもの...。
理解しているものの、いまだに頭から離れないtorashiroの言葉...。
「トリュフが死にました...。」
最後に、火葬時に一緒に手紙を入れるようにtorashiroから言われて書きました。
トリュフへ
向こうへ行ったら、君らしく伸び伸びと暮らしてください。
ありがとう。
君のことは決して忘れない。
by tocchyy
| 2007-09-18 20:15
| トリュフ